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《香の歴史》|ベル少短 かわら版 VOL.43

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《香の歴史》

日本書紀に「595年の夏、淡路島へ一抱えもある沈香が流れ着いた島民が薪としてカマドで焚いたら、その煙が遠くまで良い香りを運んだ島民はこれを不思議に思い朝廷に奉った」と書いてありますように、当時の日本人は香木に対しての知識はありませんでした。

また、この香木は聖徳太子のもとにも届けられ、太子は「これこそは南国の佛国に生じる栴檀香(せんだんこう)である」と云われ、これを彫って観音像をお作りになり、余材を仏前で供養されたという伝説から香を仏前に捧げるようになりました。

仏教では香を焚き捧げることを供養といいますが、香りは人の生活を豊かにするとともに香・華・灯は供養の基本として確立されてゆくのです。

「香を聞くを以って佛食と為す」と説いている経典もあり、香は仏や亡くなった人々の食べ物であるとの考えもあり、お寺様が「良いお香を使いなさい」と指導なさるのはそのことに深い関わりがあるからなのです。

仏前で簡単に香供養を可能にしたのが線香ですが、日本で線香製造が始まるのは江戸時代初期からで、その技術製法は中国から伝わったものです。

浄土真宗では寝かせ、その他の宗派は立てて焚き、本数においては浄土宗・臨済宗曹洞宗・日蓮宗は一本、天台宗・真言宗は三本など、宗派によっては焚き方や焚く本数の違いがありますが、抹香も線香も用途は同じで、仏教全般では仏・法・僧の三宝に帰依するという意味から三回(三本)焚くというのが正式という考え方もあります。

通夜では「線香の煙は絶やしてはいけない」という言葉をよく耳にしますが、本来は四十九日まで絶やさないのが正式で、昔は、大変な思いをして線香の番をしていたそうです。