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日常何気なく使用している蝋燭ですが、その歴史は意外と知られていません。
蝋燭の歴史で具体的な資料として分かっているのは、イタリア・エトルリア地方に残る墳墓の壁画の絵と、中国・漢の時代に蜜蝋(みつろう)200枚が献上されたという記述だけでいずれも紀元前三世紀頃のものです。
日本における蝋燭の歴史は仏教伝来とともに始まりますが、当時の蝋燭は蜜蝋であるとされ遣唐使船などにより輸入された貴重品でした。
『蝋(ろう)』は英語でワックスと呼ばれますが、ワックスの語源は蜜蜂が分泌する蝋成分に由来するもので、『蝋』の文字も虫偏であり、蜂がイメージされます。
灯明ということで言えば、荏胡麻(えごま)の油も飛鳥・奈良時代にも使われています。
室町時代後期になりますと、木蝋燭が登場いたしますが、これは、櫨(はぜ)蝋燭のことで、いわゆる和蝋燭としてその製法は現在に受け継がれています。
お釈迦様は、最後に「自灯明 法灯明」という言葉を残されておりますが、これは、自らを灯りとし、法〔教え〕を灯りとして修行するようにという意味ですので、仏教において蝋燭(灯明)は欠かすことのできないものとして大切にされています。
位牌は中国の儒教で用いられたもので故人の生存中の官位と姓名を書き記した札『牌(ふだ)とも書く』が位牌で、それには神霊が宿ると信じられていました。
やがて日本の祖先崇拝と結びついて、仏教に転用されました。
位牌を故人と見たてて、生前好きだった食物を供えたり、のどを潤すために水を供えるのもそうした意識の表れです。
しかし、浄土真宗では食物や水は、お供えしませんし、本来は位牌も用いません。
浄土真宗は霊魂を否定していますので香典の表書きはご霊前ではなくご仏前です。
参照:かわら版15号
それでは、故人を偲ぶ よすがは何もないのかというと、そうではありません。
位牌の代わりに過去帳か法名軸を使います。
供物を上げないのもそのような考え方からで、仏飯は故人に上げるものではなくご本尊(阿弥陀様)に、お供えするものです。
阿弥陀様に、お供えするというのは浄土真宗独特の考え方かも知れません。