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珠数とも書きますし、念珠とも呼びます。キリスト教のシンボルは十字架ですが、仏教のシンボルは数珠です。
合掌する手に掛け、仏様と心を通い合わせる法具で仏教徒の必需品です。
その起源は、お釈迦様が、国中に疫病が流行って困っていたハルリ国の王に「108のモクケンシをつないで、いつも手にして心から三宝(仏・法・僧)を唱えなさい。そうすれば煩悩が消え、災いもなくなります。心身も楽になるでしょう」と語った故事によるものとされていますが、お釈迦様より前の時代の計算機(そろばん)を、お釈迦様が災いから身を守る法具として用いたという説もあります。
『モクケンシとは、羽子板の羽根の重しになっているムクロジ(むく)の実のこと』お釈迦様の教えが経典となって、広く世間に流布するのは、入滅後五百年ほど経ってからですが、その間に数珠も、数の概念や一つ一つの珠の意味付けがされ、経典にも説かれて、仏教の法具としての必需品になってゆくのです。
珠の数は、108が基本です。
それは、人間の限りない欲望と執着の量をあらわしており、除夜の鐘を108回つくのと同じで、俗に108の煩悩といわれていますが、煩悩は無限です。
なお、数珠は一連、二連(いちれん、にれん)とかぞえます。
『仏具の中で、人間が使う物を「法具」、仏様がお使いになる物を「仏具」と区別することもあります』
湯灌をするときに使用するぬるま湯のことで儀式や行事のことではありません。
『盥(たらい)から盥へ移る我が身かな』という、ある高僧の言葉がありますように人間は誕生のとき産湯を使い、亡くなると湯灌をしてもらい最期を迎えます。
つまり、産湯は容器に先ず熱い湯を注ぎ入れ、水を後で入れて作ります(日常)が、逆さ水は容器に水を張り、その後に熱い湯を加えて作るもの(非日常)です。
いわゆる逆さ事の一つで大切な人を失った心の動揺を現わしているのです。
逆さ水は、使用した後、陽の当たらない場所に流すのが慣わしになっています。
納棺業者が湯灌をするとき、逆さ水の儀式と称して、故人の足元から水を掛けますが、それは誤りです。