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木魚はなぜ、お魚の形にする必要があったのか?|ベル少短 かわら版 VOL.6

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《木魚》 なぜ、お魚の形にする必要があったのか?

読経や唱名のさいに打ち鳴らす楽器。木製で、内部をくりぬき、外面に魚鱗が彫ってある。布や革で包んだ棒で打ち鳴らす。
と、木魚を説明するとこうなるのですが、これでは面白くありません。
木の魚とはいえ、お寺にはふさわしくない生臭物ですから、何か特別のいわれがあるはずです。
修行をつんだお坊さんといえども人の子ですから、居眠りをすることもありますので、常時目を開いている魚にちなみ、これを打つことによって、怠惰と惰眠を戒めたのです。
魚には、まぶたはありませんので、いつもパッチリ目を開いているように見えますが、目を開けたままで眠ります。(誰ですか!魚がうらやましい…と、言ったのは?)もともとは魚形の木板で、時刻を知らせたり、大衆を呼び集める時に用いたものが、現在の形になって、読経時に使われるようになりました。

《おみおつけ》 とはなんのことだか判りますか?

歌手のさだまさしさんが、新幹線の車中、お弁当を食べるのでお茶などを求めた際「温かいおみおつけなんか、ない?」と聞きますと売り子の若いお嬢さんが「おみおつけってなんですか」と云ったそうです。    
驚いて「みそ汁のことだよ」というと、ああ、それならありません、と答えたそうです。
関西文化圏ではあまりそういう言い方をしないようですが、関東ではめしの付け汁を「付け」と言っています。
それに御が付いて「御付け」後にごていねいに御がもう一つ付いて「御御つけ(みおつけ)」。さらに後にもう一つ付いて「御御御付け(おみおつけ)」となったわけですが、半死半生語になっています。(半死半生語は今夜も生でさだまさしでコーナーにもなっていますね!) 
若布(わかめ)や茸(きのこ)を見て「お付けの実」なんて言うのはもう死語だそうです。今はどう言うかというと、「みそ汁の具」なんだそうです。確かにそうですが、だんだん日本が聞こえなくなりました。