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《注連縄》|ベル少短 かわら版 VOL.45

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《注連縄》 (しめなわ)

注連縄は、神域と下界を区別し、結界を示すために、紙垂(しで)をつけた縄で神社の周り、あるいはご神体を囲み、その中を神聖な場所といたします。

縄の材料は刈り取って干した稲藁で、稲作文化とかかわりの深い風習と考えられ新年に、家の門や玄関などに悪気が入らないように飾る注連飾りは、注連縄が変化したものです。天照大神が天岩戸から引き出された際、二度と天岩戸に入れないように注連縄で戸を塞いだのが起源とされています。

漢字「注連縄」の注連(ちゅうれん)は、中国で死霊が入り込まないように水を注いで清めて張った縄を意味しています。

標縄、七五三縄とも書きますが、標は「占める」の意味で、七五三は一定の間隔で藁を三・五・七本と垂らしたものをいいます。

また、古代では「注連縄」を『尻久米縄(しりくめなわ)』と云っていました。久米(くめ)とは「出す」の意味で、藁の尻をくめ置いて垂らした縄なのでこのように呼ばれ、天岩戸に使用されたものが『尻久米縄』だといわれています。

神道の葬儀では必ず注連縄を用い結界を作ります。

《鏡開き》 (かがみびらき)

一月十一日に行われる鏡開きとは、正月に供えた鏡餅を雑煮や汁粉にして食べ、一家の円満を願う行事で鏡割りともいい、武家社会の風習だったものが一般化したものです。
酒樽の蓋を木槌で開けることも鏡開き、鏡割りといいます。

武家社会では「切る」という言葉は切腹を連想させるので嫌い、刃物は使わず手で割ったり、木槌で砕いたりしましたが、「割る」という言葉も避けて「開く」という縁起の良い言葉を使うようになりました。

《運を開く》

元来一月二十日に行われていましたが、徳川家光が慶安四年四月二十日に亡くなったため十一日に変更され、現在に至っています。

しかし、今でも二十日に行う地域もあり、京都では四日に行われています。鏡餅は、大小二つを重ねて神仏に供える丸くて平たい餅のことで、三種の神器の一つ、八咫鏡を形取ったものといわれています。

鏡餅を入れたお汁粉を食べて新年をよいものにできるようにしましょう。