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年忌法要どうして奇数年で行うのでしょう?
死亡した翌年の祥月命日(死亡した日と同月同日)が一周期、 その翌年が 三回忌、そのあとは七、十三、十七、二十三、二十七、
三十三、三十七 、五十、百回忌の順となります。
年忌または年回法要と呼びますが、三回忌以降の数え方がよく誤解されます。
つまり、一周期だけを満で数え、それ以外は死亡の年を入れて「かぞえ」で考えます。一,三、七という奇数、この割り切れない数は、割り切ることのできる相対の世界よりも、どうしても割り切れない絶対の世界をめざす仏教の世界を象徴しています。ちなみに、毎年の死亡月を祥月と呼ぶのは、中国の儒教からきています。亡くなった親の十三月のまつりを小祥、二十五月の大祭を大祥と呼びこれが仏教に取り入れられて一周期、三回忌というようになりました。
※法要を早目に行うのは、他の用事を優先させて故人のことをないがしろにしないためで、故人は催促できないので遅らせることのないようにとの考え方からきています。
塞翁(さいおう)→中国の北方の塞(とりで)に住む老人の名前という説
塞翁(さいおう)→中国の北方の塞(とりで)の近くに住む翁(老人)という説
この二説があります。
ある日、老人の馬が隣国に逃げてしまいますが、名馬を連れて帰ってきます。老人の息子がその馬に乗っていて落馬し足を骨折しましたが、おかげで隣国との戦のとき兵役をまぬがれて無事であったという話から(大辞林・第二版)
「幸福だと思ったことが不幸のもとになり、不幸が逆に幸福のもとになる」ということです。いことがあっても、いろんなことがうまくいかなくても落ち込まないで下さい。何かいいことがある前触れかも知れないと思えば良くないことも怖くはありません。逆にいいことが続いても、ぬか喜びしないで気を引き締めていきましょう!